QandA ひとり言は、チーコが何故バイクの免許をとり、
ハーレーに乗るようになったかをFAQ 形式で紹介しています。

1. プロローグ

私がホームページを作ろうと思った訳は?

ホームページは誰のために作るの?一般的には広く世間に情報公開するためですよね。
 バイクに乗るようになって、友達が出来ました。それまで会社関係しか友達のいなかった私にとって、それは嬉しいことなんだけど、ちょっと遠いんですよねぇー。一番近い友達でも新幹線で一駅離れていて、一番遠くだと外国じゃなくて日本の中国地方なので、ツーリングに行ってきたよ〜〜って写真見せたくても、簡単にはいかないし、メールに添付しても4〜5枚も付ければ、サイズが大きくなって送受信に時間が掛かる・・・・ そんなときに我が家でも、フレッツISDNにしたことで、電話代を気にせずにインターネットが出来るようになり、ネットサーフィン中に見つけた、ジオの無料ホームページの誘いに目を付け、やってみようかな〜〜と思ったのがきっかけでした。ホームページにアルバムをアップすれば、友達が見たいときに見てもらえるし、デジカメもあるし、デジカメで撮った写真を写真屋さんで焼き増ししてもらう為に、コンビニで買ったデジカメDE !!同時プリントと言う 2.980円のソフトに WEB出力と言うのがあって、ホームページにアルバムをアップできる!と知ったからなんです。 そんなわけで私がホームページを作った訳は、友達にアルバムやツーリングレポートを見てもらうためだったのですが、最近は自分自身のためって言う思いがしてきました。

2. 私は肉体労働者

私の会社では、自分たち工場の現場で働く人を「肉体労働者」と呼び、事務職の人を「頭脳労働者」と呼んでいます。
もちろん私は「肉体労働者」です(変な意味じゃないのよ)ですから、パソコンに触れたのも去年が生まれて初めてでした。だからワードもエクセルも全然用がないので分からないし、インターネットもメールも超初心者なのです。と言うことは、パソコンも宝の持ち腐れ状態かな?その能力の10%も利用していないのですから・・・もちろん主人も肉体労働者なので、仕事でパソコンは使いません。ただ、私より早く始めたけど、パソコン教室にも通わず自己流で、トラブルに四苦八苦しながらやって来たようです。一台目のパソコンの時は誤ってファイルを削除したり、その他色々あってHDを3回もフォーマットしてウィンドゥズを再インストールしたそうです。そんな訳で、二人ともキーボードは一本指のカナ入力のため、文章を入力するのに非常に時間が掛かっているので、コメントを書くにも四苦八苦しています。第一頭に浮かんだことを文章にすると言うことが二人とも苦手なので、レポートもコメントもありきたりの表現になってしまいますし、ワンパターンなのです。そのためどうしても写真中心のホームページになってしまっています。しかし!ホームページなど人のを見ることはあっても、自分が作るなんて夢の中のことと思っていた人間が、こんな稚拙なページでも、自分の能力からすれば大変な進歩なのです。

3. ホームページはどう作っている

HTMLとかよく分からないので・・・と言うよりちんぷんかんぷんなので、ジオシティーズのテンプレートを使って、あとはデジカメDE同時プリントと言うソフトで、アルバムページを作っています。アダチさんが「ホームページビルダーは使いやすくていいソフトですよ」と教えてくださったのですが、値段が高かったので「ホームページ制作王2002」という一番安いソフトを買ってきて、さぁこれで見栄えの良いホームページを作るぞ! と意気込んだのですが、マニュアルを読んでも使い方が分からず、私達には難しすぎました。このページはマイクロソフトのFrontPageExpressと言う無料のソフトで初めて作っています。もちろん私だけでは出来ないので、主人と二人で相談しながらあーだこーだ言いながらやっています。なるべくお金を掛けないように(バイクが3台あると大変なので)これからも地道に、少しずつ勉強しながら・・・・これが意外と難しいのです。何しろ二人の年齢を足すと90才を越えているのですから(^_^;) (2009年現在、105才を越えてしまいました・・・) 昨日覚えたことでも、今日になって忘れていたり、同じ間違いを繰り返したり、数え上げたらキリがありません。このページの壁紙もそうですが、GIFアニメやアイコンなどすべてフリーの素材屋さんからもらって使用しています。フリーの素材屋さんの中でも、断らなくても自由にお使い下さいと言うところからいただいております。どうもありがとうございます(*^o^*)ジオのホームページは広告が入るため無料でいいのですが、容量が12MBと限られていて(このHPを作り始めた当時)、画像の多い私のページだと、じきに一杯になってしまいました。一人で同じカテゴリーのページを複数持つことは禁じられているので、苦肉の策として、 主人にもホームページを作ってもらい、H.O.G関係のツーリングアルバムは、そちらの方へ載せるようにしております。まだまだ工事中ですがあしからずご了承下さい。ツーリングのオフシーズンにコタツに入って、のんびりアップしていこうと考えています。

4. なぜ40過ぎて二輪免許を取ろうと思ったの?

主人がライダーに復帰したあとも、タンデムで満足していました。そりゃそうでしょ40過ぎたおばさんが、原付スクーターならともかく、大型バイクに乗りたいっていう願望はあるかも知れませんが、現実問題として免許が取れるかっていう事に直面すると、空想の世界で終わってしまいますよね。

規制緩和によって、自動車学校等で大型二輪の免許が取れるようになり、限定解除制度が無くなったことは、雑誌の記事等で読み、知っていましたが、願望はあっても自転車しか乗っていない自分が、あんな大きなバイクを操って峠道から、高速道路まで走るなんて、考えただけでも恐ろしくて・・・自分には絶対に!不可能だと思っていました。

そんな私に転機が訪れる事になる伏線がありました。それまでと職場は変わりませんが、新しい仕事を与えられたのです。今までの仕事は、楽器部品加工の補助的な手作業だったのですが、NC と言うコンピューター制御全自動木工加工機のオペレーターに任命されてしまったのです。このNCはプログラムを打ち込むことによって、様々な有機的な曲線(つまり3D)を加工することが出来る機械なのです。
と言うことは〜〜コンピューターのプログラムの勉強をしなければなりません
ウッソー(゜O゜; それからの日々は眠れない日々が続くほどやせてしまって・・・
エッやせてないって、今は一応こなせるようになってリバウンド (^_^;) してしまったのです。プロフィールの所にも書いてありますが、甘い物に目がないので・・・そう言うわけで、自分には不可能と思えることも、努力すれば(生半可な努力ではありませんが)出来るかも?イヤ、ある程度は出来るようになるものだなぁ〜〜と思えるようになりました。

そんな98年の5月最終土日に岡山県の湯郷温泉で、湯郷ハーレーフェスティバルなるイベントが開催されることを知り、3月に納車されたばかりのローライダーで初参加することになりました。ご存知の通り、今現在日本では高速道路の二人乗りは禁止されています。そのためタンデムで参加することになるのですが、400キロ以上ある一般道、それも名古屋・京都・大阪・神戸と大都会ばかり通過しなければなりません。一体何時間掛かるやら・・・休みも何日も取れないし・・・主人もメンバーと一緒に、ツーリングしながら現地に向かいたいだろうし・・・色々考えて、行くときは主人はメンバーと一緒に行き、私は新幹線と在来線を乗り継ぎ、湯郷に向かうことにして、帰りはタンデムで一般道を帰ってくることにしました。
現地を立つのが11時頃と聞いたので、その日に自宅まで帰るのは無理と判断して、半日でどのあたりまで帰れるか検討して、京都で一泊することにしました。健康ランドで仮眠も考えましたが、温泉で疲れを取るのもイイねぇ〜〜と言うことになって、京都の湯ノ花温泉に一泊して来ることにして、宿の予約やら準備に取りかかったのです。

当日は夜明け前からの土砂降りの雨の中、午前4時に主人を送り出したあと、予約しておいた迎えのタクシーに乗り込み、一路湯郷を目指しました。一人旅の経験がないので、なんとなく寂しかったりしましたが、姫新線のローカル列車では、地元のおじいさんに話しかけられたり、初めて見る美作路の景色を楽しんだりしながら、お昼前の早い時間には美作の駅に到着しました。タクシーに乗り込み、三河チャプター予約のホテルへ向かう道すがら、道路にはハーレー・ハーレー、右を向いても左を見ても、何十・何百というハーレーの大集団!!まるで町全体がハーレーに埋め尽くされたような、Vツインサウンドに覆われて、武者震いが来るような、生まれて初めて出会う光景に、ヒートアップしてしまいました。 
その後仲間と共に到着した主人と一緒に、イベント会場やすぐ横の参加者駐車場に行ってみると、数え切れないほどのハーレーが・・・色々なカスタムを施したり、ドレスアップをした美しいハーレーを見ると、ただの傍観者から参加者へと気持ちが入れ替わっていきました。初めて会う三河チャプターのメンバーともすぐにうち解けて、ライダー・それも同じハーレー乗り同士だと話が弾み、どんどん今までの自分じゃない、新しい自分が出てくるような、不思議な気持ちになりました。

さて、そんな楽しいイベントもいつかは終わるもの、いよいよ帰るときがやって来ました。駐車場で、先に立つメンバーをビデオに収めたりして見送ったあと、私達も出発しました。湯郷から一路、姫路を目指して走っていても、近場の参加者が続々とタンデムも含めて、湯郷へ向かってすれ違っていきます。今ではあまりやらなくなったと言われている、ピースサインをどのライダーも出してくれるのが嬉しくて、後に乗っているのをいいことに、夢中になってピースしたり手を振ったりして、とても楽しかったです。

湯ノ花温泉で一泊し、京都市内まで来ると、渋滞で車が動きません(>_<) そうか! 今日から名神高速の集中工事が始まっていたのだ〜〜朝8時過ぎに宿を出たのに、お昼になってもまだ大津を過ぎたばかり・・・トホホ・・・運転している主人も大変だけど、タンデムの私もお尻が痛くなってきて・・・このままだと自宅に帰り着くのは深夜?それは困った・・・当初の予定には無かったけれど、混雑している名古屋をさけて、亀山から反対方向の鳥羽に進路を変え、フェリーで伊良湖に向かうことにしました。
伊良湖に着けば、もう自宅まで一時間は掛からないので、安心です。生まれて初めての長距離タンデムは、お尻にアザが出来るほどきつかったですが、それ以上に凄いインパクトを私に与えました。まるで夢の中の出来事だったような、現実だったような・・・
ハーレーって素晴らしい!!出来ることなら私も乗ってみたい・・・でも無理だろうなぁ〜〜。

そんな思いが交錯する日々が続いた、ある夏の終わりの一日、新聞と一緒に入っていた広告の中に、20数年前に車の免許を取るためお世話になった、浜名湖自動車学校の広告が入っており、その中に自動二輪(大型二輪の指定教習所)の指定校になったので、実地試験免除で大型が取れますと書いてありました。
主人に相談しても反対されるだろうなぁ〜〜と思いながらも諦めきれず、主人が寝たあとで入学願書を書いて、翌朝起きてきた主人に見せたところ、いつもは五木ひろしさんくらい目の細い人が、西川きよしさんのように
を見開き、相当ビックリ! したようです。最初は反対されましたが、必死で頼み込み、最後は主人も理解してくれて、大型二輪免許取得への道がスタートしました。ただし! 条件がありました・・・それは・・・誰にも内緒にしておくこと。何故かというと、主人は「たぶん途中で挫折して、諦めるだろう。その時回りに言ってあると、恥をかくので内緒にしておこう」と言う条件でした。後から聞くと、私が傷つくかもという配慮からでしたが、主人の持論は、バイクの運転は自転車に乗れれば、誰でも出来る。ただし軽いバイクであって、ハーレーはお前には無理!と言っておりました。私が「もし免許が取れたら、何でお祝いしてくれる?」と聞いたら、その時はハーレーの新車を買ってあげる!と、まるで自分がサイフを握っているような口ぶり、マァ今回は大目に見ましょう(^○^)

5. 自動車学校では苦労した?

緊張しながら浜名湖自校へ入校手続きに行き、大型二輪の免許を取りたいのですが、と切り出したところ、大型二輪のカリキュラムは、普通二輪を持っていることを前提に組まれているので、バイクに触ったことも無いような人は、小型二輪か普通二輪から取るように言われ、エッーそれじゃぁ費用が倍かかってしまう・・・しかし細かく聞くと、いきなり大型じゃそれ以上掛かるよと言われ、普通二輪から教習が始まりました。

 なにしろ自転車しか知りません(原付スクーターも乗ったことがありません)から、教官も面食らったようです。最初のバイクのとり回しや操作方法は、同時入学の他の若い子達とは別に、125ccで始めました。125ですらメインスタンドを立てられない有様に、見学していた主人は目を覆ったとか・・・第一段階で何回転倒したのだろう?体中にアザが出来て、会社では足を引きずって歩く姿に「どうしたの?」と聞かれ、「階段から落ちて・・・」と笑ってごまかしていました。

 スラロームが出来ない私に、白バイ上がりらしい厳しい教官(若い子達には挨拶から、ヘルメットの持ち方まで厳しかったのですが、私にはとても優しく、言葉遣いまで若い子と私では違うんでした)は、50ccのスクーターを持ち出し、それでスラロームの練習をしたところ、すぐに要領が飲み込めて出来るようになりました(タイムの話ではなく、スラローム自体のこと)結局、卒業検定を受けるまでに、10時間オーバーでした。

 卒業検定は不思議なことに一回で受かり、本番に強いチーコさんとか、一本橋ではふらつくので、いきよいよく乗ってタイムが早すぎるのに、降りる寸前で止まるほどペースを落とし、何とか規定タイムを出せるようになったので、粘りのチーコとか呼ばれ、転倒するときも舗装路の上ではヨタヨタになっても何とか持ちこたえ、芝生の上まで行って転ぶようになったので、教官から転び方が上手になったと、誉められているんだか、けなされているんだか・・・

挫折せず普通二輪を取れたのは?

教習が辛くてイヤだと思わなかったのがよかったのかな?少しずつでも進歩していくのが嬉しかったし(主人は最初の段階で足踏み状態だったことに、危機感を抱いたそうですが・・・)

先生方が実に親切だったんですよ!他の生徒(男子)と私では言葉使いまで違って、敬語でって言ったら主人は、そりゃ先生の方が年が下の人もいるし、オバタリアンを怒らせたら恐いと思っているんじゃないの?だなんて失礼な!ホントに良い指導者に恵まれてよかったと思っています。受付のおばさんや送迎バスのおばさん(私より少しだけお姉さん)達にも色々親切にして頂いて、やはり年代が近いせいでしょうか、待ち時間には色々話が弾んだり、応援していただけました。女性で大型二輪取った方は何人くらいいますか?と聞いたところ、今までに3人が卒業しましたが、40代で大型習いに来たのは、チーコさんが当校では初めてです!と言うことでした。

又、50代くらいのベテランの先生は、20数年前にここで普通車の免許を取ったんですよ〜〜と話したところ、「誰か知っている先生いる?」と聞いてきたので、さぁ あまりに昔なので、覚えが無いんですよ〜〜もし、覚えていたとしても、この世にいないかも知れませんねって言ったら笑い転げていました。

 そうそう、チーコさんは教習に対する心構えが良いと誉められました。普通二輪を取りに来る人は免許が無いか、あっても原付か小型でしょ、ヘルメットもブーツもカッパも、自動車学校の借り物と言う人がほとんどで、中にはジャージを着ていたり、とてもバイクに乗るには適さないような格好で来る、若い子が多かったんです。私はヘルメットは主人がローライダーを買ったとき戴いた、ハーレー純正のヘルメット(インデックスページで愛犬のマリンが入っている物)だし、タンデムとは言えハーレーに乗る以上、変な格好では乗れないと、ちゃんとした革のロングブーツ、南海で買ったグローブとカッパも自前のメーカー品!ジャケットはイエローコーンと、誰が見ても免許がないとは思わないような格好で教習を受けていました(えらそうで済みません m(__)m )。

教官にも 「いいねぇ〜〜そのヘルメット、旦那さんがハーレー乗っているの?僕も欲しいけど高くてねぇ〜」 とか、一緒に教習している男の子達に、僕もハーレー乗りたくて免許取りに来たんですよとか、話が弾みました。

 卒業検定に合格してすぐに休暇を取って、試験場に行き免許証の交付申請をして、晴れてライダーの仲間入りです・・・ってこれで終わりではありません。
マラソンで言えばやっと折り返し地点まで、リタイヤせずにたどり着いたばかりです。

普通二輪の免許証を持ってその足で、浜名自校へ大型二輪の入学手続きに向かいました。
カウンターに行くと「エッ!もう来たの?」まだ昨日卒業したばかりなのに「少し乗って慣れてからくればいいのに」と言われましたが、乗るバイクが無いんですぅ〜〜主人のバイクが2台あっても、ハーレーヤマハXS650ですから普通二輪では乗れません。どっちみち私はバイクに乗りたいんじゃなくて、ハーレーに乗りたいのです。
ハーレー=鉄のお馬さんですね、国産車=サラブレッド・武豊になりたいんじゃ無いんです、ジョン・ウェインいやスティーブ・マックイーンになりたいのです。ふっ古い (^_^;)済みませんm(__)m子供の頃西部劇がはやっていたので・・・

 でも、ハーレーは鉄の馬って表現をよくしますよね、アメリカで馬と言えばやはり、何処までも続く荒野を旅するイメージですよね、国産車のポジションは横から見ると、サラブレッドに跨ったジョッキーとダブって見えませんか、特にカウル付きのツアラーは前傾姿勢で、バックステップでスピードは出せますが、長い距離を時間掛けて旅するには向いていないと思うのですが、何故若い人はみんなこういうバイクに乗るのだろう?って前から疑問に思っていたのですが・・・
まぁ私達が年だから、腰に負担の掛かる前傾姿勢や、動体視力の衰えた今さら、スピードが速かろうが、どうでも良いのかも知れませんけど・・・失礼すっかり脱線してしまいました。

 再入学は割引制度があり、手続きするだけで大型二輪の教習が始まりました。普通二輪の時は10時間もオーバーしたのに、大型になってからは実にスムーズ!規定時間で、どんどん次のステップに進んでいきます。やはり続けて乗ると、自己流の変な癖が付かないことと、コースを覚えたりすることに気を遣わないので、練習だけに集中出来るのがよかったみたいです。
会社が休みの日には2時間乗れますし、欠点を矯正するのに役立てようと、自分のレッスン風景を主人にビデオに撮ってもらい
家に帰ってからじっくり見て、ここをこういう風にすればとか、波状路のタイミングの取り方はこうだとか、色々アドバイスをもらって、何とか卒業検定の日を迎えることが出来ました。

さぁ〜〜いよいよ卒業検定です。大型二輪は大型特殊や普通二輪の後にやるとのことで、長時間緊張しっぱなしで、大チョンボ!順番が来たときには、待ちくたびれていたせいであわててしまい、ヘルメットもかぶらず手をあげて、検定車のゼファー750の横に立っていました (^_^;)検定官があわてて「チーコさんヘルメットかぶっていませんよ!」とスピーカーから大声で・・・

それを聞いた主人は、あぁやっちゃった・・・これで不合格か?と思ったそうですが、まだ検定スタート前だったので、減点にもなりませんでした。ヤレヤレホッ!
しかし今の一件で、すっかりパニックになってしまった私は、コースを間違えてしまい・・・あっと思ったときに検定官から、どこそこまで戻ってそこから続けるように指示が出され、何がなんだか分からないうちに、検定が終わっていました。

半日休暇のため会社へ戻った主人が、合否を知るまでもなく、諦めていたようでしたが・・・結果は何と合格!!!!!

信じられないと言うか、これで晴れてハーレーライダー(*^o^*)と思うと、嬉しさはとても言葉では言い表せませんでした。
実はこの時すでに、今の愛車とは
運命の赤い糸で結ばれていたのです。その話は次の章で書くことにします。

6. 愛車との運命の赤い糸とは・・・

話が多少前後しますが、普通二輪の教習が最終段階に差し掛かった、98年
10月の終わり頃、何とか大型二輪にも手が届きそうな手応えを感じ始めた時、はたして私にも乗れるハーレーがあるのだろうか?と、カタログを見たり雑誌で研究したり・・・まず何と言っても予算の関係で行けば、スポーツスターのパパさんこと「883」体格的・体力的に言っても、883しかありませんでしたが、別に消去法で883にたどり着いたわけではなく、そのスマートなスタイルにすっかり惚れ込んでいました。身長が155センチしかありませんから、ローダウンするかそれとも、883ハガーと言う最初からローダウンされたモデルがカタログにあったので、それを注文すればイイネと言う話は、主人との会話の中ではしていました。

そして何と言っても希望の色はそれも99年モデルのカタログに載っていた、スカーレットレッドと言う新色のがとても気に入ってしまい、第一希望はスポーツスターの883か883ハガー、色はスカーレットレッドと、教習の励みになるよう?早々と、買うバイクの車種・色は決まったのですが、実車に跨って足つきを試したいと思っても、豊橋のハーレーショップには883はあっても、ハガーがありませんでしたし、他の車種でもスカーレットレッドのカラーのハーレーは、入庫していませんでした。そこで名古屋まで行けば、大都会で販売店も大きいからあるかも?と考え、休日の午前中にに教習を受け、午後から主人のハーレーにタンデムして見に行くことになりました。

片道2時間半も掛けて行った名古屋のショップは、確かに店も大きく展示車もたくさんあって、立派だったのですが・・・バイクのシートの上には「商品には手を触れないでください」の札がベタベタ、これにはガッカリしました。実際に跨ってみなくては足つき、ペダルの具合とかポジションとかが解らないですよね。豊橋の「オートショップナカムラ」さんなら、自由に触ったり跨ったり出来るのですが・・・。それにスポーツスターは1200も883も何台かありましたが、ハガーはありませんでした。秋の夕日は釣瓶落とし・・すっかり暗くなった道をがっかりしながら帰ってきたのを覚えています。

ハーレーを購入する場合、希望の車種と色が販売店に無い場合には、他のお店から回してもらうことも可能ですが、日本に輸入される車種・台数は前年度に、各販売店ごとに注文を出すので、確実に希望車種を手に入れるには、予約をするのが一番だそうです。主人も車種はFXDLローライダーで色はブルーの希望があったので、日本での98年モデル発表が97年9月にあるので、8月のお盆休み明けに予約を入れ、納車は翌98年3月にして頂きました。今は入荷が早まりましたが、当時は9月発表でもお店に新型が入るのは、12月になってからと記憶しています。

そんなわけで、目の前にぶら下げるにんじんの無いまま、大型二輪の教習へと駒を進めたある11月半ばの日曜日、私は一泊二日の職場の旅行があり教習はおやすみ。主人は用事もないことだしと、一人で伊豆半島一周のツーリングに行きました。泊まったペンションが伊豆高原と、東名高速に近かったことから、割と早く帰ってきた主人が、お土産を持ってナカムラさんへ寄ったところ、スタッフの哲君が「チーコさんのダンナさん丁度良いところへ来られました、奥さんにピッタリのバイクが昨日入りましたけど、どうですか?」と勧めたそうです・・・・おかしいなぁ〜〜自動車学校へ内緒で通っているのに、何処かで見られたのかなぁ〜〜などと考えながら、主人が目にしたものは・・・ナ・ナンと

スカーレットレッドの883ハガー信じられないような気持ちを抑え、ソロツーリングのためカメラにフィルムが半分以上余っているのを思い出した主人が、チーコに見せたいので写真を撮らせてと言ったら、ナカムラの奥さんも哲君も「奥さんは免許無いのに?」と思いながらも、写真に撮りやすいようバイクを出してくれたのだそうです。その時に撮った写真はこちら。後になって聞いた話では、チーコさんに合いそうな赤の883が入ったので、軽い冗談で勧めただけで、乗ってくれたらいいのになぁと言う願望はあっても、まさか免許を取るとは夢にも思っていなかったそうです。そりゃそうですよね!本人でさえ最初は絶対無理と思っていたのですから。

ナカムラさんで赤の883を入れたのは、少しずつ女性ライダーが増えているので、うちでも女性のお客さんが来るかもと、希望的観測で哲君が入れたそうですが、赤の色が前年のモデルとあれほど変わった、鮮やかなスカーレットレッドになるとは、予約のときは解らなかったそうです。

さて、家へ帰ってきた主人は真っ先にフィルムをプリントに出し、私の帰りを待っていました。イイですね、いまでは30分もあればプリントができるので。
その写真を見た私は、そりゃぁ〜〜もう〜〜喜んだのなんのって(*^o^*)(^○^)(^ε^)-☆Chu!! こんな感じかな? もう実際に見てみたくて見てみたくて・・・
次の休みが待ち遠しくて待ち遠しくて、そして一週間後、ついに対面の時が来ました。

昔パンチDEデートと言う番組がありましたよね、「一目会ったその日から恋の花咲く事もある」 まさに私の心境がそれでした。夢に描いていた恋人が、突然現実の人となって現れたような、そんな気持ちでしょうか、そして実際に見た感想は・・・なんて
綺麗な赤だろう・・・フラフラと吸い寄せられるように撫でたり、色々な角度から覗いたり、そしてとうとう跨ってみることに・・・

あ〜〜らよっーとっ、と言う感じで起こしたんです、それを見ていたナカムラさんの奥さんは頭の片隅に!? アレッ!と言う思いがしたそうです。普通、免許のない人は跨っても、起こすことはしないそうです。特に女性の場合は国産車ならともかく、ハーレーの場合サイドスタンドの角度がきついので、跨って起こすようなお客さんはいないそうです。それでも私が大型二輪の教習に行っているのは誰にもばれませんでした(^_^;)

夢にまで見たバイクが、もう手の届きそうなところにある・・・教習にも熱が入ります、卒業検定までもう少しです。しかし私が購入の申し込みをする前に売れてしまったらどうしよう・・・心配は尽きません (-_-;) 予約を入れた方がいいんじゃないの?と主人に言っても、車高の低いハガーでしかも色が派手な赤だから、男の客は絶対買わないだろうし、女性客はナカムラさんでは見たこと無いから、絶対大丈夫だよと言うばかり、それでも私は気が気じゃありませんでした。

そしてついに12月1日規定時間で大型二輪の卒業検定に合格(*^o^*)休みになるのを待ちかねたように、予約に行きました。ナカムラさんに着いて奥さんに「奥さん、私大型二輪の検定受かったよ!」と言ったところ、「またチーコさんたら、ウソばっかり」と言うので、持っていった卒業証書を見せたところ「ウソ〜〜〜〜ッ」と一言、その後老眼鏡を取り出ししげしげと見た後、何処かへ電話していると思ったら、2階にいる社長さんの所でした・・・電話を聞いた社長さんから、店員の皆さんも集まってきて、まるでヒーローじゃなかった、ヒロインみたいに質問攻めと祝福の嵐!みんな限定解除のイメージがある方達ばかりなので、よけいに「凄いね、よう頑張ったね」とまさに人生最良の日でした。
その時に撮った写真がこれです

その時に奥さんに聞いた話では、99年モデルの883ハガーのスカー
レットレッドは日本に5台しか入らなかったらしいと言う事。そしてナカムラさんでも初めて入れた車種だと言う事。珍しい偶然が重なって私が手に入れたとは思えないのです。40過ぎて急にハーレーに乗りたくなり、乗るんだったら883ハガーの赤と決めたそのバイクが、たった5台の内の一台が数あるハーレーショップの中で、豊橋あたりの地方都市のショップで初めて注文して、私の免許取得に合わせるように入荷して、待っているなんて・・・これは絶対
運命の赤い糸で結ばれていたそう思えてならないのです。

そして納車は翌99年1月23日。豊橋のハーレーショップ「オートショップナカムラ」さん(現・ハーレーダビッドソン豊橋)のお客として初めての女性ハーレーライダー誕生です。しかし納車のセレモニーの後、みんなをがっかりさせてしまったのです。 そのことについては、次の章で・・・
昨年、2001年11月長崎ハーレーフェスティバルに行ってきました。そこで以前から親しくさせて頂いている、ハーレージャパンのKさんに初めて私のバイクを見て頂いたところ、スカーレットレッドの883は初めて見られたそうです。ハーレー本社の方のお墨付きをいただき、本当に珍しい超レアな私のバイク、他の赤と違い99年モデルだけで無くなってしまったスカーレットレッド、大切にしたいと思います。

7. 納車セレモニーで、がっかりさせてしまった事とは

納車は翌99年1月23日。豊橋のハーレーショップ「オートショップナカムラ」さんのお客として初めての女性ハーレーライダー誕生です。しかし納車のセレモニーの後、みんなをがっかりさせてしまったのです。 そのことについては、次の章で・・・それはこちらに↓

 ハーレーを正規販売網で購入すると、納車セレモニーというのがあります。納車セレモニーとは、車体各部の説明や操作方法の説明を受けた後、私は担当者の○○さんにちゃんと説明を受けましたと言うサインをして、ハーレージャパンに提出する用紙があり、それにサインをした後記念のポラロイド写真を撮影してくれて、記念の写真立てに入れてもらえるのです。

さて、セレモニーも終わって、いよいよ新車に跨って走り出すわけですが・・・オートショップナカムラさんで、初の女性ハーレーライダーと言うことで、社長さん始めスタッフの皆さん、他のお客さんも見送りに出てきてくれたのですが・・・・なにしろ大型二輪免許を取ったとは言え、教習車のゼファー750しか乗ったことが無い上に、免許証交付以来一度もバイクに乗っていないと言うこと、もちろんハーレーに乗るのは生まれて初めてであり、ショップの駐車場から道路に出るのに段差があって、もし万が一転けたらどうしよう・・・・と言う恐怖心から、自宅まで主人に乗っていってもらうことにしたのでした。
そのため見送りに出て下さった皆さんを落胆させることになってしまったのでした。

これではいけないと、家に帰ってからヘルメットをかぶりジャケットを着て、主人にはスクーターで付いてきてもらい、近所に農業用の用水池があって、一周2.2キロほどの周遊路が整備されていて、一般車が走っていないのを幸に、練習を始めました。発進停止からギヤチェンジ、ブレーキング、コーナーリングと何周も何周も回って、少し自信がついたところで、地元の観光スポットでもあり、ショートツーリングの定番「伊良湖岬」に向かって、主人のスクーターの後について、出発しました。
家からは40キロ弱ですが、何処をどう走ったのか全然覚えて無くて、無我夢中だったようです。

無事に伊良湖岬に着いたので、心配しているオートショップナカムラの皆さんに、電話で「無事伊良湖まで来ることが出来ました」と報告しようと思ったら主人が、どうせなら走っている姿を見せに行けば・・・と言いだし、一服したあと再び豊橋に向けて、来た道を戻って一路ナカムラさんへとハンドルを向けました。

ナカムラさんに着いたら、お店の中の人がみんな出てきたのにビックリ
ちゃんと乗れるところを見せたくて、又来ましたよ〜〜と言ったら、バイクに何か不具合があったのか、トラブルかと思ったそうです。

そして
笑い話を一つ・・・信号待ちの時は、主人と並んで止まるようにしていたのですが、主人が「何で赤信号の間中クラッチ握ったままいるんだ?」「ニュートラルに入れておけば、クラッチレバー握ったままいなくてもイイのに」と言ったので、
ええっ〜〜そんな話は初めて聞いたよ、自動車学校でもそんなこと教えてくれなかったよ、とそれを聞いていたスタッフのSさんが、クラッチが重くて手が痛くなりませんでしたか?と、いいえ全然大丈夫ですよ〜〜と言ったら、ハーレーのクラッチは重いので、女性ではかなりしんどいと思ったようです。実はこの時生まれて初めてハーレーに乗り、無我夢中で運転に全神経が集中していたので、気が付かなかったのです(^_^;)

それにしてもスポーツスターのニュートラルって、なんて出しにくいのでしょう・・・自動車学校のゼファーは、すぐに出るのにと言うと、主人は「そんなことは無いよ、ローライダーはローからしかニュートラルに入らないけど、スポーツスターはセカンドからでもチョンと落とせば入るから、停止する寸前にギヤダウンしながら、入れることが出来るから、それに引き替え大きいハーレーは、停車してからだと入りにくいよ」と言っていました。だけどこっちは免許取り立て、停車したときにバランスを崩して立ちゴケしないように、そっちに気が行っているのでしばらくは、信号待ちの間中ニュートラルを探してローとセカンドを行ったり来たり、そうこうしているうちに信号が青に変わってしまい、寒い季節でもアセ・アセ・・・

それともう一つ、ギヤが何処に入っているのか分からないのにも困りました。教習車にはギヤの位置を示すランプが一杯付いていますよね、自分のバイクにはと言うか、一般のバイクには付いていませんよね。車のメーターにはギヤが何処に入っているか(オートマですが)表示されるのに、何故バイクには無いのだろう?出来れば自動車学校の教習車のように、ポジションランプを付けて欲しいと言ったら、ショップのみんなに大笑いされてしまいました。

なんでみんなギヤが何処に入っているのか分かるの?と思って聞いたら、ギヤが低すぎるとエンジン回転が高くなり過ぎて音がうるさくなり、高すぎるギヤだとノッキングしたりぎくしゃくした走りになるそうで、初めの頃は意味すらよく分かりませんでしたが、今ではフィーリングで分かるようになりました。

さて、次の章では初めての立ちゴケから、一般道を走るのに恐怖心が沸くようになり、それを克服するためにあるチャレンジを始めた事などに触れたいと思います。

8. 一般道での恐怖心を克服するために始めたこと事とは

99年3月、免許を取って2回目のツーリング、と言っても乗車自体が2回目なのですが、早春と言うことで1回目と同様に、常春と言われている伊良湖岬へ行きました。
その日は家を出てしばらく直進が続いて、最初の交差点で右折するのですが、交差点手前でギヤダウンしようとしましたが、ギヤダウンできないのです??あせっているうちに、スピードを落とすことが出来なかったので、右折せずにまっすぐ行ってしまいました。先導していた主人は付いてこないで直進していった私に気が付き、あわてUターンしてきて「何で知っている道でまっすぐ行ったんだ?」と聞くので、ギヤダウンが出来なかったの・・・と言ったら、そう言うときは車と一緒で、クラッチを握り直せばいいんだよと教えてくれましたが、自動車学校で習わない、経験して初めて分かることって結構ありますよね。

そんなちょっとしたアクシデントは、まだ前触れに過ぎなかったのです。
伊良湖岬の恋路ケ浜に到着し、黒鯛の塩焼き定食を食べて、さぁ帰ろうかと言うことになってエンジンを掛けバイクに跨ったときに、土曜日と言うこともあって駐車場が混雑していて、私が出るのを待っている車が目に入り、(しかもすぐ横で)あせってしまい立ちゴケ!  呆然としている私に主人が駆け寄ってきて、バイクを起こしてくれましたが、ウィンカーが割れてミラーにも傷が付いてしまい、納車されて2回しか乗っていないのにとショックで・・・・自動車学校での練習時から、一歩も進歩していない自分自身にも腹立たしいやら情けないやらで、あれほど乗りたかったハーレーがあるというのに、乗り出すことに恐怖心が沸くようになってしまいました。

そんな私を見てある日、主人が一冊のバイク雑誌を手渡してくれました。
そして「この中に、女性ばかりのライディングスクールの記事が載っているからよく読んで、いっぺん参加してみたらどう?」と。

それは「レディースバイク」と言うバイク雑誌で、初めて見る雑誌でしたが、本屋さんでよくバイク雑誌を探している主人が見つけたそうですが、女性専用らしいので今まで手にとって見たことがなかったそうです。ただページ数が少なく薄いのに(今時ホッチキスの針みたいなので閉じてある)やたらと値段が高くて(600円)変な雑誌だなぁーと思っていたそうです。
私が大型二輪の免許を取ったことで、初めてレディースバイク誌のページをめくって見たところ、「ビューティーライディング」のレポート記事が目に止まり、私に勧めてみようと思ったそうです。手に取った私が詳しく読むと、そこにはこんな記事が書かれていました。


街はクリスマスイルミネーションで一色。道行く人達はプレゼントを抱えて歩いている。そう、こんな寒い季節にバイクに乗るなんて・・・・・だけど、ここ鈴鹿サーキットには、そんな寒さなんて吹き飛ばしちゃうような、元気溢れた63名の女性ライダー達が集合。サーキットを熱気で包んだ。

そんな前書きで、井形マリさん率いるチームマリのレッスンのもようが、記者の体験取材で紹介されており、スクールでのレッスン風景や参加した女性達の顔写真もアップで載っていました。そしてチームマリの参加者募集のページでは、初心者大歓迎・こんな女性ライダーにオススメのスクールです!

レディースバイク誌と紹介記事はこちら

●公道を走ることが不安 
●うまくカーブが曲がれず「恐い」と思う
●みんなとツーリングに行きたいけれど後れをとってしまい気を使う
●Uターン、小回りがすごく苦手 
●友達が欲しい(回りに女性ライダーがいない)


なんとすべて私に当てはまる!行ってみようかなぁー・・・だけど知らない人ばかりだし・・・・
私もあんな風に雑誌に載ってみたい・・・ホントにうまくなれるのだろうか?・・・・等々色々な思いが交差しましたが、主人の強い勧めもあって、思い切ってレッスンに参加することにしました。
実はこの年までバイクとは無縁の生活だったので、井形マリ?何者?と言うような感じて゛・・・m(__)m済みません知らないとは恐ろしいことで、国際ロードレーサーで鈴鹿8耐にも出場されていたなんて、後で聞いたり記事を読んだりしてビックリしました。
と言うことで、いよいよ鈴鹿サーキットを走れるなんて、夢のような・・・・しかし現実は厳しかったと言うお話は、次の「チームマリのレッスンとはどんな内容?」で書く予定です。

9. チームマリのレッスンとはどんな内容?

主人の勧めで、井形マリさん主宰の、ビューティーライディングへ参加することになった私は、知らない人ばかりでどうしようとか、上手い人ばかりだったらどうしよう等不安を抱えつつ、当日の朝を迎えました。
それより以前申込書に、希望レンタル車種を記入するのですが、持っている免許が大型二輪なので、経験もないのにCB750を第一希望に、第二希望にCB400を指定しました。実はこれが後に、失敗だったけど得難い物を得たと言うか、転んでもただでは起きなかったというか、あるいは災い転じて福となすと言うような結果につながりました。ちょっとくどくてゴメンなさいm(__)m

私が教習所で乗っていたバイクは、カワサキのゼファー750。ホンダのCB750・スズキのGSF750・ヤマハのFZX750と国産4メーカーの750が揃っていて、好みの車種を選べるようになっていましたが・・・・私は身長が155pしかなく、一番シートの低いゼファー750しか、乗れるバイクがなかったのでした。
ところが鈴鹿の教習センターは、ホンダの経営と言うことで、バイクはすべてホンダ車ばかり。仕方なくCB750をレンタルしたのですが、レッスンが始まっていきなり
立ちゴケ。それを見ていたCクラスのクラスメイトは、あっ私よりヘタッピーがいるとか、初参加で緊張していたのに、私を助けに来たりして、緊張がほぐれて良かったとか、後からみんなに言われました。
とにかく足つきが悪く、常につま先立ちなので、足指の皮が剥がれてしまい、ソックスが赤く染まってしまいました。乗ってからではサイドスタンドが払えないので、乗る前にサイドスタンドを払ってから跨るようにして、やっと走る準備が出来る状態でした。それでも初日だけで(教習は一泊二日)3回も立ちゴケをしてしまい、足は青あざだらけになってしまいました。
初日の練習が終わると、ホテルで(鈴鹿フラワーガーデンホテル)パーティーがあり、レッスン中はレッスンに集中しているので、話す機会がない同じクラス(Cクラス)の人たちと会話が弾んだり、イントラさんも各テーブルを回って、色々お話をしてくださるので、とても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

一夜明けて2日目の早朝(6時)、鈴鹿サーキットの体験走行があります。
通常はレンタルしたバイクで走りますが、希望があれば自分のバイクでも走行可能です。
そしてサーキット走行終了後の朝食を済ませると、2日目のレッスンが始まります。2日目ともなると多少の慣れもあり、要領やコツをつかんだりして、昨日初めて乗った所からすると、進歩してきているのが自分でも分かるし、同じような悩みを抱えてスクールに参加していると分かった(昨夜のパーティーで話をして)、他の参加者の目も気にならなくなり、集中してレッスンに取り組めます。そして昼食も美味しく頂けるようになりました。それというのも当時レッスンは午後からなので、レッスン前に昼食だったのです。初参加で知り合いもいない中での昼食はレッスン前と言うこともあり、緊張でのどを通りませんでした。それが2日目になると美味しく、同じクラスの人と話ながらの食事となり、前日とは全然違います。
午後のレッスンも無事終了し、ティータイム・閉講式となります。そのときアドバイスシート(イントラさんがレッスン中に気が付いた、良い点・気をつけた方がいい点等)をいただき、自分のライディングについて振り返って、スキルアップの参考にします。現在では集合写真と一緒に郵送で、後日送られてきますが、次に又レッスンに行こうと言うときの目標にもなります。

アドバイスシートの画像はこちら。  集合写真はこちら

さて帰るときになって、鈴鹿サーキットから最寄りの近鉄駅まで、タクシーで行くことになりました。一人だと料金が勿体ないので、自然発生的に乗り合わせていくことになりました。このときの私を入れて4人が名古屋までの近鉄乗車中に、初参加と言うこともあり、同じくらいのレベルで話が合い、又レッスンに来たいね、楽しかったね等話が弾み、住所や携帯アドレス等交換し合い、友達づきあいが始まりました(1999年4月の事でした)。その付き合いが10年後の今でも続き(2009年5月現在)泊まりがけの旅行(神戸・高山・京都・伊豆・伊勢等)にも、幹事持ち回りで企画して行っています。
その他にもレッスンに参加したことで、親しくさせて頂いている方も出来て、バイクで恐怖心無くツーリングに行けたらいいなと言う思いが、単なる技術の向上だけではなく、お金では手に入らない、友達という得難い財産を得ることが出来て、大げさでなく、人生最大の収穫だと思います。

10. エピローグ

初参加から10年(免許取得・バイク購入からも10年)が経ち、チームマリのレッスン参加回数も2009年3月の鈴鹿で、23回目となりました。ある一定の所から進歩がないと自覚していますが、家庭の事情などで、年に数回しかバイクに乗る機会がなかったこの2年などは、ライディングテクニックの維持にと、2年ぶりに参加して良かったと感じています。

最初はレンタルバイクでのサーキット体験でしたが、自分のバイク(ハーレーXLH883ハガー)で走ってみたくなり、いつもは新幹線と近鉄電車を乗り継いでの参加でしたが、自分のバイクに鈴鹿まで乗って行き(レッスンはレンタル)、念願の鈴鹿サーキットを愛車のハーレーで走ると言う、普通では体験できないような事も体験しました。
ハーレーのイベントで、
富士スピードウェイ、ツインリンクもてぎと合わせ、日本の3大サーキットを走ることが出来て(単なる体験走行ですが)幸せな気分です。

これからも体力の続く限り、おばあちゃんになっても(既におばあちゃんだと言う声もありますが ( ̄▽ ̄;)!! ガーン )レッスンに参加して、素敵なハーレーライダーだねと言われるのがが目標です。

2007年4月にレインボー浜名湖で行われた、
TEAM MARI ・モーターサイクルレッスンに参加したときのレポートがありますので、参考にしてください。
鈴鹿のようにサーキット走行はありませんが、チームマリに許可をいただき、レッスンのじゃまにならない範囲で写真や動画を撮影させて頂けました。私の口癖「老後の楽しみ」でもありますが\(^^;) 、立ちゴケが怖くてツーリングにも行けなかった、40過ぎてバイクの免許を取ったオバサンが、楽しくバイクに乗っている雰囲気が分かって頂けると思います。

最後まで拙い文章を読んでくださった、粘りと根性のある貴方様に心より、感謝申し上げます。どうもありがとうございましたm(__)m