2003/04/2627


ハーレーダビッドソン・生誕100周年の記念イベント
Open Road Tour Tokyo」が2003/04/2627と
東京・昭島の「昭和の森・メッセ昭島」で行われ、
主人と二人で行ってきました。
 
会場に行かれなかった方も、スタントライドショーが
人の頭ばかりで、見えなかったと言う方も写真を多く用意しましたので、
ごゆっくりお楽しみください。

2003/04/26 AM 8:45
今回は私の都合で、三河チャプターのメンバーとは別に、新幹線を利用しての
参加となりました。豊橋に止まる本数が少ないひかりに乗れて、しかも本来は
のぞみ用の700系の車両だったので、ラッキーでした。
 
2003/04/26 AM 10:10
東京駅から青梅線の特快青梅行きに乗って、50分ほどで昭島に到着。
駅から歩いて10分足らずの所にある、会場に着いたのは10時の開園丁度でした。

開園したばかりと言うのに、この混み具合。
 
アメリカの本社へ送られると言うブタさんに、寄せ書きをしてくださいとのことで、
「三河チャプター・チーコ」と書きました。
誰か気が付いた人はいるかな?












建物の中には、歴代のモデルや
新型車両、工場での生産組立の
分かるブースなど、展示物が色々
あり、跨ったりさわったり、
色々楽しめました。
左のスポーツスターは、
私のバイクと同じサドルバッグや
マフラー等でカスタムされており、
オリジナルのカラーがとても
綺麗でした。

私の理想のライディングスタイルは、
上の写真のバービーちゃんみたいに、
ロングヘアーをなびかせて、颯爽と走る姿
なのですが・・・
理想と現実には、大きな隔たりが・・・(^_^;)

 
2002/02/17 タカラテクニカルスクール試乗会で乗ったのと同じ、
FLHウルトラクラシックの100周年記念バージョン。

2002/02/17 タカラテクニカルスクール試乗会にて、
FLHウルトラクラシックに試乗。
 
2002/02/17 タカラテクニカルスクール試乗会にて、
FLHウルトラクラシックに試乗。

こちらの車両は、今はなくなってしまった「陸王内燃機(株)」が、
アメリカのハーレーとライセンス契約を結び、ハーレーから譲り受けた
古い工作機械を使い、日本で製造された和製ハーレーと言われた
「陸王RT-U」750ccです。
 
100周年と言うことで、歴史的価値のある古いバイクが
多数展示されており、マニアにはたまらない屋内の会場です。

1932年式のモデル。
 
歴代のエンジンが単体で展示されていました。
こちらはナックルヘッドと呼ばれている、エンジンです。

こちらはパンヘッド、パン(鍋)を伏せたようなシリンダーヘッドのデザインから、
こう呼ばれています。映画イージーライダー(下の写真)で、
ピーターフォンダが乗っていたチョッパーは、この時代のエンジンです。
 
ロッカーアームのカバーが「ショベル」に似ているところから、
ショベルヘッドと呼ばれたエンジン。

映画イージーライダーのポスター。
1969年公開のアメリカ映画で日本では1970年に公開。
 
反体制的な若者2人がコカイン密売で儲けた大金をタンクに隠し、
真のアメリカを求めてオートバイで放浪の旅に出る二人のヒッピーを描いた内容で、
当時バイク好きの高校生だった主人は友人と見に出かけ、
衝撃的なラストシーンにショックを受けながらも、一段とハーレーに
引かれていったようですが、一ドル360円の時代で高卒初任給が
3万円台の頃、年収の百倍もするバイクに乗るなど夢の又夢・・・
それが40代過ぎに叶うなんて、良い時代になりました。

現行スポーツスター1,200のエボリューションエンジン。
 
主人のローライダーと同じ、ビッグツインのエボリューションエンジン。

1954年式FL 50周年記念モデル。
 
1912年式 MODEL8

1903年式モデル。
 
1920年式モデル。

1928年式モデル。
 
珍しいエンジンのカットモデル。中のピストンやプライマリーチェーンの
動く様子が分かり、初めて見るエンジン内部の構造に興味津々。
とても勉強になりました。

ハーレー純正の3輪車「サービカー」今は無いモデルです。
 
19844年式初代ソフテルモデル。昔のハーレーのように、
リアサスペンションが無い、リジット風に見せたデザインで
大人気となり、現在も作り続けられている、人気のモデルです。

1977年式 FXS ローライダーです。ウィリーG・ダビッドソン(創業者の孫で、
HD社デザイン担当最高責任者)デザインで一世を風靡し、低く長くの
デザインポリシーで、現在もほぼ同じデザインで生産が続けられている、
人気のモデルです。
初代のエンジンは
1200ccのショベルヘッドで、主人が乗っている
1998年式ローライダーは、エボリューション1340ccです。
現行のローライダーはツインカム
88と呼ばれる1450ccのエンジンを積んでいます。
 
歴代モデルのガソリンタンクが、多数展示してありました。

 

 
エルビス・プレスリー愛用のヘルメットとグローブ。
プレスリーは熱心なハーレーファンだったそうですが、
残念なことにハーレーに乗った映画は1本も無いそうです。
本当に残念ですね、とても似合いそうなのに・・・

ビューエルのブースにあった、コーナーリング体験が出来る!!
ファイアーボルト。これだけ傾いていても、まだまだバンク角に
余裕があるのにはビックリしました。
 
この手のスーパースポーツには乗ったことがないので、こういうフォームを
するのは生まれて初めて・・・似合わないな(^_^;) (主人の弁)

会場風景、外人さんも非常に多かったです。
 
カントリーミュージックのライブ会場。

会場風景。朝方の雨も上がり、気温もぐんぐん上昇して、
日射しも強く暑かったです。
 
一般参加者による、カスタム車両のコンテストが行われていたブースです。
正直に言って、私のバイクでも充分参加できるレベルでした・・・
そんな中で、ペイントの綺麗なバイクを集めてみました。

右上のVロッドの反対側から見ると、ご覧のようにブラックペイント
レッドブラックのジキルとハイドのようなカラーリング、一粒で二度美味しい、
まるでグリコのようなバイクで、とてもユニークでした。
 
Vロッドのカスタムペイントが多く目に付きました。

こちらはロードキング。
 
カスタム車両コンテストの会場風景。

Vロッドはアルミ地のままなので、自分好みにペイントする
オーナーが多いようでした。
 
PM 1:29
メインステージでウェルカムセレモニーが始まると言うので、
特等席に陣取る二人。

駒沢大学吹奏楽部による、マーチングバンドの演奏。
 
ビンテージハーレーによる、デモ走行がこれから始まります。

車両は大阪の株式会社 船場の提供です。 ズラリ勢揃いした、19131951年製のハーレー達。

この日のために、エンジンのオーバーホールを行ったと言う、
1913年式9Eモデル。自転車のようにペダルを漕ぐと、力強い爆発音が
響きエンジンが始動し、回りの観衆からはどよめきが起こりました。
ライダーはホットバイク誌の池田編集長で、着ているウエアーは全て
当時の物だそうです。
この後、池田編集長による各モデルの説明がありました。
 
1927JDサイドカー。

1938EL 昔のハーレーはシートが低くて、足の短い私には羨ましい(^_^;)
 
次々とエンジンに火が入り、走り出すビンテージモデル。

この写真もそうですが、みなさんチェンジが手動(クラッチが足動)
のためか、うつむいて、手元を確認している写真が多い。
 
衣装にもこだわっていますね。

白いツナギのライダー達は船場の社員の方です。
 
出番を待つ、ビンテージモデル達。

ちょい古のデジカメなので、動いている物を撮るのは、非常に難しいです
(シャッターにタイムラグがあるため)失敗作多数
あらかじめ場所を決めて、フォーカスロックしておき、バイクを追いながら
流し撮りをして、やっと撮れた写真でもピンが甘い・・・
 
これからパフォーマンスをやるよ〜〜と、
観客にアピールする船場のライダーさん。

見事にアクセルターンを披露!! 
エッ!オレにもアクセルターン位出来るって?
それは今のバイクでしょ。
フットクラッチですよ!
 
1927JDサイドカーによる、片輪走行。

ギャラリーもすごい数でしたが、前の人も立って見ているので、
後ろだと人の頭しか見えなかったかも?。
 
最後に全員でパレードし、ビンテージラン終了。

PM 3:37
ハーレージャンプ世界記録保持者、
ババ・ブラックウェルさん(向かって左)と
欧州スタントチャンピオン、クレイグ・ジョーンズさんの紹介。
 
ババ・ブラックウェルさん(左)と、クレイグ・ジョーンズさんの、
華麗なるスタントの醍醐味をどうぞ。
写真だと止まって見えますが(当たり前ですが)
実際はかなりのスピードで、大迫力です。

ウィリーしたままバイクを降りて・・・バイクを直立させて・・・
 
バイクを置き去りにしていったので、観客から笑いが漏れました。

 

タンクの上に座ったと思ったら・・・
 
足をハンドルの上へ・・・

そのままウィリー。
 
で、ご覧の通り(◎-◎;) よくこんな事をして乗れるものだと、驚きの連続です。

リアタイヤをパンクさせてみせると言って、
高速でスリップさせているので、煙がもうもう。
 
装備重量300キロもあるハーレーでタンデムウィリー、それも片手で!!

 
何とペットボトルのドリンクを飲みながらのウィリー! まさに神業ですね。

リアタイヤをスリップさせて、8の字をスリップ痕で描いています。
まるでチェーンソーアートみたいです。
 
パッセンジャーをフロントに乗せての、ジャックナイフ。
これらの写真すべてそうですが、シャッターを押した時点が
ベストショットではありません。そのため実際はもっと角度が
立っていて、ものすごい迫力です。

 

サイン会も大盛況で、長蛇の列。
もちろん私たちも、日本では手に入らないと言う、
クレイグ・ジョーンズさんが、被っているのと同じキャップを買い求めて、サインをしていただきました。ちなみにキャップは
2.000円とリーズナブルな
お値段で、飛ぶように売れていました。
 
見てくださいこの笑顔(*^o^*) 半袖でも暑いぐらいのこの日、
演技が終わった後で、革のツナギを着たままでのサイン会、
とても暑かったと思うのに、素晴らしいサービス。
せっかく話しかけてくださったのに、今日ほど英語が話せたらなぁと
思った日はありませんでした。

PM 4:37
三河チャプターのメンバーとやっと再会。
広い会場・大勢の人波+イベントの間は携帯を切っていたので、
会うのが遅くなってしまいました。
 
ロードグライドに乗って、こっちにすれば良かったかなぁとM@岡崎さん。

すべての100周年モデルが、跨がれるようになっていて、
しかも直立して展示する工夫がしてあり、これなら起こさなくてもいいし、
立ちゴケの心配も無用と好評でした。
 
女の子のブタさんの前で、Leeちゃんと。

PM 6:41
Nori
ちゃんLeeちゃんと、お喋り&ショッピングしてこの後、
みんなでホテルのある立川まで電車で移動。
 
PM 7:50
美味しそうな食べ物屋さんを捜して、あっちをウロウロ
こっちをウロウロ!やっと見つけた七輪炭火焼きのお店で、
焼き肉バーベキュー。歩き疲れた身体に、
冷えたチューハイの美味しかったこと。
     

オープンロードツアーは2日間に渡って開催されていましたが、
初日に開園から閉園までいて、ほぼすべて見尽くしたため、
翌27日は東京見物をすることに決定。この機会にと観光スポット
ではなく、主人が多感な?少年時代を過ごした、第2の故郷を訪れて
見ることにしました。
1953年横浜生まれの主人は、父親の転勤により、小学2年生から
6年生1学期まで、東京の下町、江東区に住んでいました。
その後、新潟県・愛知県と転校したため、江東区の以前住んでいた
地区を訪れるのは、なんと38年振り!!以下は主人のレポートです。
 
私が江東区南砂町を訪れるのは38年振り。
子供の頃よく利用していた交通機関「都電(路面電車)」は、
かなり前に廃止になっていて、現在は地下鉄が通っていました。
地下鉄南砂町の駅を出て地上に出ると、そこには・・・
見覚えのある景色はいっさい無く、高層マンションやビルの建ち並ぶ、
以前の木造建築がひしめき合って、路地裏から人々の喧噪が聞こえてきた、
下町独特の風情のある景色は消えていたかに思えたのですが・・・・
場所が分からないので、公園の整備員をしていた年配の方に道を尋ね、
教えられた方角に行ってみるとそこには、見覚えのある小学校へと続
く商店街が現れました。
荒物屋さんのご主人に「このお店はいつ頃からありますか?」と
訪ねると、「うちは戦前からこの場所で商売やってるよ」
とのこと。そこで「東京オリンピックの頃、この近くに電電公社の
グランドがあって、その横にアパートがあったのをご存じないですか?」と
聞くと、「それならこの通りの一つ向こう側にありましたよ。
だいぶ前にグランドは無くなりましたが」と聞き、その方角へ歩いていきました。

2003/04/27 AM 11:40
段々かっての自宅近くに近づき、見覚えのある商店街を歩いていて、
なんと同級生のT君の家(薬局)を発見。まだここで商売をやっていたんだ、
家を継いだのかな?薬剤師だったお母さんは健在だろうか?
色々な思いが交差しながらも、会いたさに訪ねてみましたが
、残念ながら留守でした。
隣に同姓の歯医者さんがあったので(以前はなかった)
T君は歯医者さんになったのかな?会いたかったなぁ〜残念。
 
以前アパートの横には、広大な電電公社(現NTT)のグランドがあり、
中には野球場が2面と公園、プールなどがありました。
野球場は多分、都市対抗で有名な、電電東京の練習場だったと思いますが、
第一球場・第二球場とあり、東京ながら緑と自然が豊富で、学校から帰ると
毎日のように、網を持って蝶々やトンボを追いかけていました。
その場所には今はご覧の通り、高層マンションが建ち、僅かばかりの
公園が残るのみで、かっての面影はありませんでした。

ところがマンションの横には、以前住んでいたアパートが、取り壊されずに
昔のままで建っていました・・・・この光景を目の当たりにしたときは、
さすがに目頭が熱くウルウルしてきました。
さすがに今時風呂もないアパートは、6畳二間と台所しかないため、
空き部屋が目立っていましたが、38年たった今でも残っていたと言う事実に、
懐かしさがいっぱいでした。
アパート前は花壇だったのですが、過ぎ去った年月を物語るように、
樹木が生い茂っていました。
 
アパートから程近くには、小遣いを握りしめ、
おやつを買いに来た商店街「砂町銀座」があります。

日本各地にある、何々銀座のはしりとも言うべき有名な場所で、
大都会東京の中では稀な、下町情緒溢れる庶民の台所です。
 
車も入り込めない狭い路地に、様々なお店がひしめき合っていて、
見て歩くだけでも面白いところです。

果物屋さんも安くて、種類が豊富です。
 
衣料品店も安さのせいか、まとめ買いする人が多いのか、
タオルなど山積みです。

Tシャツやポロシャツが390円特別値下げ品ではなく、
店内の商品すべてこんな値段です。大勢のお客さんで混み合っていました。
チーコも母にお土産をゲット。本来値札は取って渡すのですが、
安さを知らせるために、あえて付けたまま渡したところ、
あまりの安さに驚いていました。
 
大勢の買い物客で賑わう砂町銀座。

八百屋さんもスーパーと違い、カットしたりトレーにラップした野菜ではなく、
すべて丸のまま売っています。
 
お店はその商品専門の店が多く、こちらはお総菜屋さんです。
私が子供の頃は、10円玉を握りしめてお肉屋さんへ、
おやつにコロッケを買いに来ました(当時1コ5円)

こちらはおでん屋さん。コンビニと違い、夏でも売っています。
この後、砂町銀座を通り抜けてバスに乗り、亀戸に行きました。
 
PM 1:46
亀戸駅で、お台場方面(フジテレビ)に行こうとしましたが、
新交通システムのユリカモメが、どこから出ているのか調べて
こなかったため、行き方が分からず(笑)、藤祭が開催されていると言う、
亀戸天神へ行ってみることにとました。

亀戸駅前から亀戸天神へ向け、左折するまでの大通りは、
歩行者天国になっていて、たくさんの人で賑わっていました。
 
歩行者天国で、露天の八百屋さんがあるなんて、
いかにも下町ですね。

懐かしい縁日のような、射的がありました。
 
今では金魚すくいではなく、スーパーボウルすくいだそうです。

行列の出来るペットショップ(◎-◎;)
この他にもお寿司屋さんとか、ラーメン屋さんとか、田舎者には
待ってまで食べたいと言うか、待たされるのが理解できないお店を多数見ました。
こちらでは子犬が多数展示されていて、大人気。特に「どうする〜〜アイフル」と
同じ、チワワの子犬の前は黒山の人だかりでした。ちなみにお値段は、
なんと48万円!!!目がウルウルのチワワの子犬と目が合わなくて良かった(笑)
 
昔懐かしいスタイルの、豆菓子のお店。

亀戸天神入口に到着です。大鳥居の前後にも露天がズラリ。
 
身動きが出来ないほどの人、人、人。

藤の花が綺麗に咲いているようです。
 
人波にもまれながら、やっと本殿が見えてきました。

亀戸天神名物の藤の花。
 
これぐらいの藤を見に、人がこんなにたくさん訪れるというのは、
田舎者には理解できません。私たちがよく行くツーリングコースには、
自然のままの藤が多く咲いており、地方に引っ越して良かったなと実感しています。

亀戸天神名物の藤の花が満開です。
 
もう一つの亀戸天神名物の亀。池には亀がいっぱいいます。

本殿にて参拝。
 
写真題名・藤娘じゃなかった藤オババ\(^^;) コラコラ!

亀戸天神の庭園風景。目まぐるしく変化していく都会の中にあって、
変わらない手入れされた藤棚と池が、庶民のオアシスとなっているのでしょう。
 
昔と変わらない露天の中にあって、昔はなかった鮎の塩焼きを売るお店。

かき氷を売るお店は、かき氷に掛けるシロップを、蛇口をひねって、
好きな味を好きなだけ、掛ける事が出来るようになっていて、
子供達に大人気でした。

 
亀戸だけに、亀と名の付く老舗のお菓子屋さんが、いたるところにありました。
こちらのお店も大変な行列。
38年ぶりに訪れた故郷は、大変な変わり様でしたが、
一歩路地裏へ入ると、昔ながらの営みをしている、
変わらない姿もあり、砂町銀座など、少年時代にタイムスリップ
したかのような、楽しいひとときを過ごしてきました。

この後は、東京駅へ戻り(総武線なので、秋葉原で乗り換えが
あるのですが忘れてしまい、神田で山手線に乗り換えて戻ると言う
一幕もあったりしながら)大丸百貨店の地下でお弁当を仕入れ、
新幹線の中で食べながら、帰途につきました。