■ 姫街道について
  • 中山道とは?
    東京「日本橋」から京都の「三条」まで、69次、約132里(544km)をつなぐ中山道。江戸を起点とする五街道(東海道・中山道・甲州街道、日光街道、奥州街道)の1つで、東海道と共に日本の主要道路として多くの農産物や加工品が流通しました。東海道に比べて大名の参勤交代も少なく、交通量は半分ほどだったようです。
  • 美濃国の中山道は?
    江戸日本橋から武蔵国(埼玉県)、上野国(群馬県)、信濃国(長野県)、美濃国(岐阜県)を通り、近江国(滋賀県)の草津で東海道と合流する中山道。その4分の1相当の距離(約128キロ)を有したのが美濃国、つまり岐阜県です。16の宿場を持つ美濃中山道は、山間を通るハードな道程ながら、木々や渓谷が四季折々の風情を醸しだし、自然の美しさが長旅の疲れを癒してくれたようです。
  • 宿駅制度とは?
    1601年、徳川家康は公用文書の郵送や人の通行を円滑に行うため、宿駅伝馬制を導入しました。中山道に宿駅制がしかれたのは1602年のことで、この年の2月24日には、幕府から御嶽宿へ「伝馬掟朱印状」が下付されました。通常、宿場には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が平均25軒ほどあり、宿場間の距離は平均7〜8kmといったところでした。
  • 姫街道と呼ばれる由縁は?
    中山道は将軍家に嫁ぐ姫宮たちの大通行に使われたため、「姫街道」と呼ばれました。なかでも幕末の公武合体策のため、十四代将軍・徳川家茂に嫁いだ和宮の大行列は、絵巻物のような豪華さだったようです。しかし華やかさの裏には、姫宮たちの悲しい思いも秘められていたようです。
  • 名所・旧跡は?
    東海道に比べ、未だ多くの史跡が残されているといわれる中山道。江戸日本橋から数えて112番の一里塚にあたる「垂井の一里塚」、樹齢1200年という「神明神社の大杉」、840mにわたって続く「落合の石畳」・・・。時代の流れを見続けてきたこれらの史跡は、ひっそりたたずみながら多くを物語っています。
  • 現存する旅籠(はたご)は?
    長い道のりを歩いてきた旅人の疲れを癒したのが、宿におかれた旅籠。垂井宿の「亀丸屋」、細久手宿の「大黒屋」、大井宿の「角屋」(現在「いち川」)は、当時の面影をそのまま残した現役の老舗旅館です。皇女・和宮が降嫁の際、立ち寄ったという加納宿の「二文字屋」では、今も伝統の味が受け継がれています。旅館に限らず、明治時代以前操業の老舗は、県下全体の約7割が中山道が通過する市町村に残されています。

※ パンフレット「姫街道ものがたり」(姫街道400年祭実行委員会)より